■玉木雄一郎が政治家を目指したワケ
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
国民民主党の代表を務める玉木雄一郎は、1969年5月1日、香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)で農協職員の父親と特別養護老人ホームに勤務する母親のもとに生まれた。
玉木は、田植えや麦まき、肥料や農薬の散布を手伝った。農作業からは協力や、共生の重要性を学んだ。
3人兄弟の長男だった玉木は、香川県立高松高校を経て、東京大学法学部を卒業。卒業後の1993年4月、大蔵省に入省し、主計局総務課に配属される。1995年、アメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学。1997年、同校よりMBA取得。1998年、大蔵省接待汚職事件が発生。この事件を目の当たりにしたことと留学の経験が政治家を志す契機となった。
外務省への出向(中近東第一課)を経て、2001年より大阪国税局総務課長。2002年より内閣府に出向。第1次小泉内閣にて、行政改革担当大臣の石原伸晃のもとで秘書専門官に就任。以降、累計3代の同大臣の秘書専門官を務める。
第2代大臣の金子一義から「政治家にならないか」と誘われ、当時、自民党幹事長だった安倍晋三と面談した。しかし、自民党は玉木の地元である香川2区にはすでに別の国会議員を擁していたため、安倍は別の小選挙区からの立候補を提示した。玉木は「国政に挑戦するなら、先祖の墓のある場所でやりたい」と考え、出馬を断念した。
■なぜ自民党ではなく民主党だったのか
2005年8月、衆議院が解散することになり、玉木は、財務省主計局主査を最後に財務省を退官。9月11日投開票の第44回衆院選に民主党公認で香川2区から立候補した。
政権与党の自民党ではなく野党の民主党から出馬した理由は、「自民党内の派閥争いではなく、政党同士の争いで政権交代を実現すべき」と考えたからである。この選挙では小泉旋風によって自民党が大勝。玉木は、1カ月ほどの活動で7万177票を獲得して善戦したが、10万794票を獲得した自民党前職の木村義雄に敗れて、比例復活もならずに落選。以降、4年近く浪人生活を送ることになる。
落選後、地元で広報活動に努めるなかで、かつて同地出身で内閣総理大臣を務めた大平正芳の長女である森田芳子を訪ねた。玉木は大平の遠い親族にあたり、大平家の協力を得たいと考えた。
玉木は大平が率いた自民党とは対立する民主党の候補であり、森田は玉木との接触を当初は躊躇していた。しかし、最終的に面会に応じ、さらに森田の長女(大平の孫)である渡辺満子を玉木に紹介した。その後、渡辺は2009年から玉木の公設秘書を務めた。
渡辺は玉木を「大平の精神を受け継ぐもの」と認め、選挙区内の自民党支持者らに玉木への支持を訴えた。その後、2009年8月30日投開票の第45回衆院選に民主党公認で再び香川2区から出馬。
■小沢一郎が枝野代表に語ったこと
この選挙では、10万9863票を獲得し、小選挙区で初勝利初当選を飾った。以降は、小選挙区で連続当選を重ね、現在、5期目である。2018年5月7日、民進党、希望の党のそれぞれの一部議員が合流し、結党した国民民主党において、大塚耕平とともに共同代表に就任した。
9月4日、津村啓介とともに国民民主党代表選に立候補。「対決より解決」を主張してきた玉木が、野党共闘を訴えた津村を大差で破り、新代表(単独)に就任した。
2019年1月22日、自由党代表の小沢一郎は、国民民主党代表の玉木と会談し、両党を合流させることを決めた。2019年の参院選でも、1人区を中心に野党間での選挙協力こそ成立したものの、立憲民主党と国民民主党がそれぞれに戦うかたちとなり、結果的に立憲民主党が17議席、国民民主党が6議席に終わり、自公の合計で71議席を獲得した与党を利するかたちになった。
小沢は、今後の野党の動きにどのようなビジョンを抱いていたのか。
「2017年の衆院選後、わたしは、枝野代表に『野党第一党の代表のあなたが中心になって野党をまとめて選挙に臨むべき』と何回も話をした。だけれど、枝野代表は立憲民主党として独自路線で参院選を戦うという姿勢を変えなかった。結局、そのときはわからなかったんだろうね。一度、選挙の結果を見ないとわからなかったんでしょう」
■立憲民主党代表の君子豹変
ところが、参院選後、枝野は、それまでの姿勢を変えた。立憲民主党は、2019年夏の参院選で比例区での得票は、2年前の衆院選から300万票以上減らし、791万7719票という結果に終わった。
枝野は、この選挙結果から独自路線の厳しさを実感し、8月5日、国会内で国民民主党の玉木代表、衆議院会派「社会保障を立て直す国民会議」の野田佳彦代表と相次いで会談し、衆議院での統一会派結成を打診した。その後、国民民主党側が衆参両方での統一会派を提案し、8月20日には党首間での合意に至った。
小沢は枝野のこの姿勢の変化について語る。
「自分は参院選の結果をある程度予測していたから、選挙前から『参院選後に枝野代表は必ず君子豹変する。間違いない』と言い続けていた。やっぱり、本当に選挙のあとに君子豹変したね」
小沢が推進していた立憲民主党と国民民主党の合流話は、2020年7月になり、再び動き出す。2019年9月3日に合流新党への参加届け出が締め切られ、翌4日に立憲、国民両党が合流新党への参加者を発表。立憲民主党では都知事選への対応をめぐり離党を表明していた須藤元気を除く88名が新党に合流することとなった。
9月10日に代表・党名選挙が実施され、枝野が新党の初代代表に選出、党名には枝野が掲げた「立憲民主党」が選ばれた。9月11日、残留組による新「国民民主党」の参加メンバーが協議をおこない、玉木の代表就任を決めた。
9月11日に立憲民主党の両院議員総会が開かれ、14日に同党を解党し、合流新党(新・立憲民主党)に移行することを承認した。
■菅元総理との意外なつながり
いっぽう、新・立憲民主党が発足する直前の2020年8月28日、安倍総理が健康問題を理由に辞任を表明。後任の総理、総裁には第2次安倍政権で官房長官を務めていた菅義偉が就任したいっぽう、日本維新の会の幹事長となる馬場伸幸は、2012年12月、旧日本維新の会公認で大阪17区から衆院選に出馬、初当選を飾った。
2014年7月、日本維新の会の分党に際しては、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加。この年9月、結いの党、日本維新の会の合流により、維新の党の結党に参加し、国会議員団党紀委員長および組織局長に就任。
2015年8月、維新の党の分裂に際し、橋下の新党への参加を表明。10月14日付で、維新の党を除籍処分となった。しかし、馬場ら除籍された162人と、すでに離党した橋下らは、松野頼久執行部の任期が9月で切れているため、処分は無効と主張。
10月24日、独自に臨時党大会を開き、馬場が代表に選出された。12月13日には、おおさか維新の会の幹事長に内定。日本維新の会の幹事長となった馬場は、2020年9月16日に、菅が自民党総裁に選出されたと知り、さもありなんとうなずいた。
〈安倍総理の後任は、やはり側近として長年支えてこられた菅さんしかいない。政策の裏表をすべて理解し、人間関係も熟知しておられる〉
■日本維新の会にとって最大の敵とは
菅総理の誕生は、日本維新の会にとっても喜ばしいことだった。自民党の国会議員のなかで、もっとも深い人間関係を築いてきたのが菅義偉だった。
安倍、菅、橋下、松井一郎の4人は、第2次安倍政権が発足後の2013年以降、ほぼ毎年、2回の会食を続けてきた。安倍内閣と維新のパイプ役となったのが菅であり、4人の関係は菅の主導で構築されてきた。
菅が特に親しくしてきたのは、代表の松井と、遠藤敬国対委員長の二人である。馬場もまた、菅と長年にわたり、交流や議論を重ねてきた一人である。そのつながりのなかで、馬場は思っていた。
〈菅さんが理想としている政治を、僕ら維新が頑張っている。菅さんは、われわれのことを、そんなふうに見てくれているのではないか〉
日本維新の会にとって、眼下の最大の敵は立憲民主党である。支持層はほとんどかぶっていないのに、維新が立憲を敵認定しているのには理由がある。
維新の支持層は、国や地方の財政、外交・安全保障、教育、少子化から科学技術、エネルギー、環境問題まで、日本のありとあらゆる状況に危機感を抱いていた。そのなかで、維新に「日本をよい方向に牽引するため頑張ってほしい」「改革をぜひ実現してほしい」と希望を託してくれている。
■ほんま、立憲ってセンスないな
いっぽう、立憲は、連合など一部の組織や団体に支えられている政党である。失敗した民主党政権時の閣僚たちがいまだに中枢を占めていること、「政府の揚げ足取りだけで対案を出さない政党」との認識が有権者に定着したことから支持率は3%前後で低迷。ところが当人たちは、のほほんとしていても野党第1党でいられるという怠慢な意識で、好き勝手を繰り返している。
馬場幹事長は、国会での長年の活動を通してつくづく思った。
〈立憲民主党ほど、日本に不要な政党はない〉
立憲民主党がいくら自民党を攻めても、有権者は言いがかりや脅しのようなやり方にすっかり嫌気が差している。安倍総理が退陣後もモリカケ、サクラ(「桜を見る会」をめぐる問題)を繰り返した。国民がまったく興味のない日本学術会議の任命問題などをダラダラと繰り返している。つまり与党を攻めるネタもなく、自分たちのことを棚に上げた攻撃は「ブーメラン」と揶揄されるようになった。
馬場は思った。
〈ほんま、立憲ってセンスないな〉
自民党の支持率が下がるのは、金銭問題など、国民も身近に感じられる悪い話が出たときである。立憲があのやり方を変えない限り、一定数以上の支持が集まることはない。それでも組織が味方についている政党が、選挙に強いのは確かだった。
■「55年体制のような茶番劇の国会」ではダメ
2021年秋までにおこなわれる衆院選で立憲をつぶせればよいが、維新の票が眠っている無党派層や無関心層にアピールするのは容易なことではなかった。もともと小選挙区制導入の大義は、日本を二大政党にすることだった。が、その結果は、野党がバラバラに割れて弱い政党が乱立し、国民からノーを突きつけられた候補者が比例復活する悪い面ばかりが浮き彫りとなった。
日本維新の会もまた弱い政党の一つであるが、少なくとも「自民党と対峙できる政党をつくることが日本国民のためになる」という志がある。馬場は思った。
〈55年体制のような茶番劇の国会を繰り返すのではなく、政府与党側のA案と、野党が出すB案を議論して戦い合わすような体制にすべきだ〉
国会改革をし、政策案をぶつけ合ってよりよい政策を実現する。議論のなかで新たなC案が誕生する可能性もある。何事も是々非々で、本当によい政策であれば野党も一緒に協力して練り上げる。そのような体制にならなければ、日本維新の会が掲げる大改革は実現しない。
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作家
1944年、広島県に生まれる。広島大学文学部を卒業。『週刊文春』記者をへて、作家として政財官界から芸能、犯罪まで幅広いジャンルで旺盛な創作活動をつづけている。著書に『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『孫正義に学ぶ知恵 チーム全体で勝利する「リーダー」という生き方』(東洋出版)、『落ちこぼれでも成功できる ニトリの経営戦記』(徳間書店)、『田中角栄 最後の激闘 下剋上の掟』『日本を揺るがした三巨頭 黒幕・政商・宰相』『政権奪取秘史 二階幹事長・菅総理と田中角栄』『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件 四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち』『安藤昇 俠気と弾丸の全生涯』『西武王国の興亡 堤義明 最後の告白』『最後の無頼派作家 梶山季之』『ハマの帝王 横浜をつくった男 藤木幸夫』『任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二』上・下巻(以上、さくら舎)、『逆襲弁護士 河合弘之』『最後の怪物 渡邉恒雄』『高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿』『映画女優 吉永小百合』『ショーケン 天才と狂気』『百円の男 ダイソー矢野博丈』(以上、祥伝社文庫)などがある。
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<このニュースへのネットの反応>
共産やれいわのほうが「要らなさ」は強いと思う。
他も甲乙つけ難いです。
まあ立憲の議員見てるとね。維新から野党を代表していないのに代表として与党と交渉するなとか。国民が連合推薦取ってる選挙区に平気で候補立ててきたり。他の野党を平気で足蹴にしといて。それで盟主面して指名で野田の名前を書くのは当然とか平気で言っちゃうからね
共産やれいわも大概だけど所詮泡沫政党だからな。あのクソっぷりで野党第一党はやべーよ
立民が不要なのは全く異論ないですがね。他にたった一つでも、優秀でなく実績がなくとも、まともな政党が野党に一つでもあれば、政権交代がありうるほどに信頼実績がズタボロの与党環境の中で、いまだそれが起こってない現実をもう少し見て頂きたいですね
「いらない」を通り越して「ない方がいい」なんだよなぁ
あんだけ非難されてた菅直人が今回の選挙でも応援に来てたしな。あいつと鳩山を総理にしただけでも排除する理由になるわ
何もしてないのにあいつらに税金が使われているからね。しかも野党の中で一番ね
立憲民主そのものよりそこに勝てない野党に失望してるよ 国民は同じ穴のムジナだから期待してねぇけど維新とか何やってんだよ
共産やれいわよりはマシじゃないかなと、一瞬思ったが、れいわは隔離施設として大切だし、共産は議員はクソアカのノーメンクラトゥーラしかおらんけど党員には稀に結構マジで弱者救済に命をかけて日々活動してるスゲー人達もおるんよね。
立憲も国民も悪夢と地獄の民主の残党。維新は民主党と合流して民進党の過去。共産社民れいわは嫌日派。参政党と日本保守党だけか。
立憲の精神性は中国のそれに近い
立憲公明共産れいわ同率でいらんな。
>立憲民主党ほど、日本に不要な政党はない 違うぞ。与党の政策の対案を用意して議論しない政党が不要なんだぞ。印象操作にひた走り、叩く材料が無ければ証拠捏造までする立憲共産党が目立つだけで、他もドッコイだからな
そらそうだろ、日本人の為の政党じゃないし。
いいや、不要なのはエセ宗教や金持ち、敵対隣国の手先となって国民負担を撒き散らす党派閥全部だよ
まぁ、比例の票見れば、別に立民の支持が伸びてるわけじゃないのは一目瞭然だからな
まあこのままなら次で泡沫政党に逆戻りかな。
今ある野党政党は軒並みいらないし、*学会の元締めである公明党もいらない。
ヤジと難癖ばかりで対案無しに喚いてる所しか印象に無い